信頼していた人からされるそれは
「気のせいだ」と思いたかった。
幾度となくされ続けるそれを、認めたくなかった。
でもそれが確信に変わった時、自分の中で何かが崩れた。
性善説で今まで生きてきたけれど、「この世界はそうではないのかもしれない」と。
それはきっと『境界線』が、甘かったせいもあるのだろう。
今ならわかる。境界線をちゃんと引けない中で、性善説で生きることはとても危険だ。自分にとっても世界にとっても不幸だ。そして自分の未熟さも相手の未熟さも顕になる。
「優しさは、”境界線”と一緒に使う必要があるからね」
幾度となく娘に伝えている言葉だ。
自分のことは自分で守る。
自分の尊厳は自分で守る。
生きていたらいろんなことがあるけれど
自分の尊厳は自分自身でちゃんと守ってあげたい。
そして、世の中に蔓延る
利他とか、与える人とか、ギブの人、とかそういう言葉の裏にある思惑に
最近特に違和感を覚える。(なぜなら本当にその在り方で生きている人は、わざわざ主張する必要もなく、表明する必要もなく、目立つ必要もなく、ただただそう在り続けている人だと思うのだ。人としてそのあり方にリスペクトしている。)

手のひらサイズの作品「憤り」
