怒りや
悲しみ。
世間でいう一見マイナスな感情の裏には
自分の本当の願いが隠れている。
自分が何を求めているのかを知るチャンス。
何が悲しかたのか、
何に怒りを感じたのか、
何が痛かったのか。
常にベクトルは自分だ。
出来事はその「望み」を教えてくれる
きっかけにしか過ぎない。
何が悲しかったのか。
本当はどうしたかったのか。
本当はどうされたかったのか。
そこに本当に自分が求めている望みが現れる。
そこには良い・悪いはない。
「そうだったんだね。」
と、そんな自分を自分で認めてあげる。
受け容れてあげる。
ちゃんと感じ切ってあげる。
感じ切った先にしか見えてこない世界がある。
どんなに思考で思い込ませても
どんなに思考でなかったことにしても
形を変えて現実に立ち現れるから。
少し痛みは伴うけれど
準備ができたら
ちゃんと感じてあげても良いのかもしれないね。
壮大なテーマで気づきがあった最近。 子供の頃、置いてけぼりにして来てしまった「気持ち」を迎えに行ってあげた。 未昇華だった感情を昇華させてあげられて少し放心状態。 人は痛みを避けるため、どれだけ感じないようにして生きているのだろう。 無自覚すぎるから、尚更そう思う。 もっと気づいてあげよう。